キーワードは「さめず」

組織は「同窓鮫洲会」

名誉会長 本橋 茂守

”鮫洲”のキャンパスに併置されている都立工業高専並びに都立鮫洲工高の前身校である(旧制)府立電工が創設されたのは1935(昭和10)年。それか ら半世紀以上が経過し、その間、学制改革などもあって校名にも変遷があった。卒業した学校名が異なっていても、同じ学び舎での若き日の想い出にはお互いに 通じ合うものが多い。

これからの新しい時代に向けて、”オール鮫洲”の卒業生が連帯し一体となって、”同窓鮫洲会”を結成したのは1992(平成4)年であった。

鮫洲のキャンパスでの技術者育成の経緯をご理解頂く参考として、都立工業高専と都立鮫洲工高の校史の概要をたどってみます。


両校の前身校は東京府立電機工業学校で、1934年(昭和9年)12月に設立が認可され、翌35年4月に大井町駅からほど近いゼームス坂上の府立聾唖学 校を仮校舎として開校され、小学校尋常科6年の課程(現在の小学校と同じ6才で入学し、12才で卒業する)を終えた約120名の少年達が修業年限5年 (12才で入学し、17才で卒業)の本科第1回生として入学しました。

35年の頃の現キャンパス周辺の地は埋め立てが行われてから程なく、ひばりが舞い、四つ手網が並んでいるのどかな浜辺といった風情でしたが、ここに新校 舎建設の工事がはじまり、36年3月にその第1期工事が竣工(旧校舎のA棟)し、翌37年4月には小学校高等科(尋常科から更に8年間)卒業を入学資格と する修業年限4年(14才で入学し、18才で卒業)の第二本科(現在の定時制に相当)が開設されました。

校舎も年度を追って増築され、40年4月には同じキャンパス内に府立電工との一貫教育による8年制の高等工業学校を目途として府立高等工業学校(修業年限3年)が創設されました。

府立電工から本科第1回の卒業生を世に送り出したのは40年3月、第2回生の卒業は41年3月ですが、この頃から時局は切迫し、41年12月には太平洋 戦争が始まり、第3回・4回・5回生は卒業が年度末の3月から前年末の12月に繰り上げとなりました。  43年の東京都制により校名の府立は都立となりましたが、この頃から戦局は月を追って苛烈、切迫の度を増し、修業年限の短縮措置によって、第6回卒業と なる5年生と、第7回卒業となる4年生とは、同じ日(45年3月)の卒業となり、第8回生も修業年限4年で21年3月の卒業となりました。

なお、学徒動員によって第7~9回生が軍需工場での生産に従事したり、学校の実習工場を兵器の加工のために模様替えをした時期もありました。

戦後の学制改革によって都立電工は48年から都立鮫洲新制高等学校となりましたが、この校名の期間は2年弱とごく短かく、同じキャンパスにあった都立工 業専門学校ほか計6校の旧制高等専門学校を母体として東京都立大学が創設され、鮫洲のキャンパスには工学部が設立されたのをうけて、都立大学附属工業高等 学校となりました。

このような推移でしたので、都立鮫洲新制高校での卒業は49年3月1回のみで、旧制都立電工の第9回生が該当しています。また、第10回生が都立大学附 属工高になってからの卒業生ですので、卒業生名簿では学制の改革に伴う整理として、旧制の都立電工の本科第9回卒、第10回卒を、それぞれ新制での高1回 卒、高2回卒としています。

また、35年に府立電工が仮校舎で開校したとき、東京府機械工養成所(入所資格旧制中学5年卒、6ヵ月で修業)も併せて開設されていました。この施設も 同じ鮫洲のキャンパスに移り、38年に東京府から国に移管されて商工省東京機械技術員養成所(修行年限1年)となっていましたが、戦後は旧制の都立工専の 技術専修科となり、都立大学の創設に伴って工学部の別科となっていました。この工学部別科を母体として54年に都立工業短期大学が創設され、57年には当 時のいわゆる専科大学の先導的試行を意図して、5年制で工科系短大へ直結するモデル校として、都立大学附属工高は都立工業短大附属工高となりました。しか し、国会での審議の過程のうち学校教育法の改正で高等専門学校が設置されることとなり、62年に鮫洲のキャンパスに都立工業高等専門学校が開設され、当時 在学していた都立工業短大附属工高の全日制の1年生と2年生が志望と認定により都立工業高専の2年と3年に編入学することになりました。

なお、定時制の課程は都立工業高専付属工高となりましたが、67年4月に都立鮫洲工業高等学校と校名を変更し、定時制の独立校として同じキャンパスにあります。

また、前記都立工業短大は67年に日野市に移り、現在は4年制の都立科学技術大学となっています。

若き日に学びの庭をともにした良き朋友の年齢にも相当の幅ができてきました。卒業した校名にも幾多の変遷がありまましたが、「ご出身は」と問われると「さめず」で通るようになりました。

オール鮫洲の同窓生の連帯のキーワードは「さめず」、組織は「同窓鮫洲会」です。